駒ヶ岳の生成物語


昔々アイヌ達には駒ヶ岳について、次の言い伝えがあった。

それは幾千年かを知らぬ太古の天地に神々の誕生した頃、この地一帯(森町中心)は
平凡な原野で見るべき山も海も無かった。或る夜ごうごう地鳴りがして大地が揺れ動くと、
東の土地がぐんぐん盛り上がって大きな山となり、北の地面が見る見るくぼんで
外海の水が流れこんだ。この隆起と陥没が夜明けまで続いて、朝日の昇る頃には東に高く
美しい山が立ち、北に広い静かな海が出来た。それがただ一夜に生成した山と海である。

そして後、文化神オキクルミ(アイヌは源義経をこの神と同一に思っている)が
足高蜘蛛(くも)に教えられて天に昇り、国造神コタンカラカムイの所で火をもらって
来て、蝦夷ヶ島(北海道)に火を伝えた。その時オキクルミ神が天上から火と灰を
つかんで投げ降らしたのが、このカヤベヌプリ(駒ヶ岳)とアシヤニノボリ(恵山?)
に落ちた。それが火の種となって、この山は時々灰を降らし火を噴く火山となった。
それまでは蝦夷ヶ島に火が無かったので、人々は食物を煮たり焼いたりして食べなかったが、
これからは火を用いるようになったと言う。

駒ヶ岳と内浦湾が出来てからの人々には、生活資源が急に豊かになった。熊や鹿・鷲鷹が
山野に、鮪や鰊・貝類が海に多く、鮭鱒が川に上り、草木よく茂って暖かな住みよい国となった。
朝日が駒ヶ岳に輝き、夕陽が内浦湾に映えた美しさに、目を楽しませ心を慰めて、海の幸・
山の幸に恵まれた日々を天地の神々に感謝した。


この伝説はアイヌ国創世記であり駒ヶ岳生成神話である。前半の一夜生成伝説は昭和五年
尾札部村の古老に聞き、後半の降火伝説は数書に出ている。これを考えても駒ヶ岳は
アイヌ先人により語り継がれた道南の名山として、貴重な存在である。

昭和5年秋本良作談。
同27年更科源蔵・渡辺茂編北海道の伝説外数書。
同年小林露竹採録。



駒ヶ岳