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おかげさまで合名会社丸竹竹林商店は、1905年(明治38年)の創業から100周年を迎えました。
結婚後二人は大阪に出て資金を蓄え、明治37年函館の富山県出身者をたよりに来函し明治38年現在地で開業し酒類・食品・雑貨などを商った。 当初は函館近郊地域まで行商し、帰路はそこで産される農作物を買い取り荷車に積んでそれを店頭販売した。 店は繁盛し次第に人手も必要になり奉公人も置くようになる。初代由次郎・サト夫妻は創業者として店の基盤作りに良く働いた。 由次郎は起業家タイプらしく行動的でベンチャー精神旺盛で数々の事業を手がけた。五稜郭公園の内堀で鯉の養殖を試みたのもその一例である。 函館西本願寺西別院の世話役、地域活動、町内会長などでも積極的に活動した。 ※創業時代の出来事
1956年二代目知明の死去により竹林朔三・純代が継承。三代目竹林朔三は店の経営改革を考え卸業務を別会社として分離し、 1961年酒類たばこ食料品小売部門を法人化し合名会社丸竹竹林商店とした。店の立地が国道5号線に面しており交通量も多く、 また後背地の中央埠頭、万代埠頭が整備され合同港湾庁舎も落成、税関が移転入したことにより大型外航船舶の出入港が多くなり、 店の酒類食料品たばこなどの船舶納入業務が増大した。 1979年日本専売公社(JTの前身)のA種輸出会社に認定され外航船向免税たばこ卸業務を行うようになる(国産たばこ)。函館港で一社であった。1993年外国たばこラークなどの製造メーカーフィリップ・モリス社の函館港で一社の特約店となり外国輸入たばこの外航船舶納入卸業務を行うようになる。北洋漁業さけ・ます漁再開を受け業務は急拡大する。
1995年(平成5年)奉職する三代目の長男智則が国民的作家・司馬遼太郎氏の熱心な愛読者であったことからその献策を入れ、かねてからの課題であった地域に根ざした店独自のオリジナル・ブランド酒の企画を司馬氏に申し入れたところ快諾を受ける。酒名は「菜の花の沖」。函館を根拠地とし後に日露間の外交問題を解決に導いた豪商高田屋嘉兵衛の波乱に満ちた生涯を描いた司馬氏の同名小説からつけた。岩手県盛岡市の菊の司酒造株式会社に生産を依頼。翌1996年7月から販売を始める。 ※現在までの出来事
2005年1月、100年のあいだ多くのお客様に有形無形のご支援お引き立てを賜わりましたことを
私どもはお客様のご支援ご鞭撻のもと21世紀にチャレンジ致します。 |
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